温泉

こけしの湯


全て木に囲まれた湯船に注がれる白濁の温泉
当館人気NO1の温泉!

ご宿泊頂いたお客様のほとんどがご入浴されます。
この白濁した温泉を求めてリピーターも多く人気の温泉です。
もちろん天然温泉100%源泉かけ流しの温泉です。
利用時間 清掃中を除く24時間入浴可能。
また、シャワー等の設備はございませんので、あらかじめご了承ください。

泉質

含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩、塩代物泉

pH

7.1

効能

神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・慢性皮膚病・慢性婦人病・やけど・糖尿病・帯状疱疹など

  • こけしの湯
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鳴子の湯


季節の風を感じながら・・・
そんな言葉が似合う露天風呂

肌触りがつるつるになると、女性に人気の露天風呂「啼子の湯」露天風呂の開放感と肌に感じる季節の風はちょっとしたのぼせ防止に・・・
湯量の関係上露天風呂は一つですので、男女時間帯で利用して頂いております。ご了承下さい。
また、シャワー等の設備はございませんので、あらかじめご了承ください。

泉質

ナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉、低張性中性高温泉

pH

6.2

効能

神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・慢性皮膚病・切り傷・やけどなど

  • 鳴子の湯
  • 鳴子の湯

亀若の湯


ちょっとぬるめで湯冷めしにくい「亀若の湯」

義経伝説の源泉「亀若丸の産湯」です。
当館の源泉の中では一番温度が低い(約38℃)のが「亀若の湯」。
鉄分が含まれた茶褐色のろ過していない温泉をそのままかけ流しています。
サラッとしたなかにもしっとりと纏わり付き、肌に染み入る感覚が女性の支持を集めています。
また、シャワー等の設備はございませんので、あらかじめご了承ください。

泉質

単純温泉、低張性中性高温泉

pH

6.6

効能

神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進など

  • 亀若の湯
  • 亀若の湯

義経の湯


タイル貼りの懐かしい雰囲気の「義経の湯」
辛口の肌触り・・・

少々ピリッとくる肌触りとまろやかさを併せ持つのが特徴の「義経の湯」
無色透明で体の芯から温まる温泉です。
また、シャワー等の設備はございませんので、あらかじめご了承ください。

泉質

ナトリウム・カルシウム-硫酸塩炭酸塩・炭酸水素塩泉、低張性弱アルカリ性高温泉

pH

7.6

効能

神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・動脈硬化・切り傷・やけど・慢性皮膚病など

  • 義経の湯
  • 義経の湯

源義経伝説「源義経 決死の平泉行」
時は平安時代 藤原三代100年の平和と繁栄が続いた奥羽(東北地方)とは裏腹に都では貴族間の政権争いが起こり、保元・平治の乱に発展、源氏と平氏が死闘をくり返しついに平氏が政権をとったが、政情は一向に安定しなかった。敗れて伊豆に流されていた源頼朝は、治承四年(1180年)平氏討伐の兵を挙げ、平泉にあった源義経は兄頼朝の挙兵を聞き、ただちに駆け付け平氏の軍を追い、寿永四年(1185年)三月、長門の国壇ノ浦で平氏を滅ぼすに至った。ところが義経は後白河法皇の策動により、兄頼朝との間に不和を生じ、官位をはぎ取られ行方をくらました。頼朝は、後白河法皇に義経追捕の命をせまり、懸命の捜索を続けたのだ。
一方、義経は平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼り、文治二年(1186年)二月、十数人の家来と夫人・北の方(河越太郎重頼の娘)を同伴し、山伏姿となって密かに京を逃れ、北陸路に向かうこととなった。歌舞伎「勧進帳」の名場面で知られる安宅の関や、出羽の国、念珠ヶ関を経て最上川を遡り、藤原秀衡の元に身を寄せたのである。実は、この平泉落ちの順路の中で、出羽の国と平泉の間が文献から脱落しており、このため方々に「義経平泉落ち」の物語が伝承されているのである。 ここに、鳴子地方に伝わる物語を概略する。
出羽の国に入った義経一行は、羽黒山の霊場を訪れたという。山伏姿の一行にはそれが必要であったのだろう。清川から川舟に乗り、最上川をさかのぼり、合川の津(渡し場)に上陸、難所亀割峠に向かったが、そこには一大事が待ち受けていた。夫人北の方が産気づいたのである。弁慶の産婆役で何とか男の子を産み落としたが、どうしたことか産声ひとつ上げないのである。一行は急ぎ鳴子を目指して旅立ち、中山越えして鳴子温泉にたどりつき、温泉の効き目によって初めて産声をあげたと伝えられている。その湯が、川沿いという地理的条件から「姥の湯」であろうという。正に「義経伝説の湯」なのである。
出羽の国に入った義経一行は、羽黒山の霊場を訪れたという。山伏姿の一行にはそれが必要であったのだろう。清川から川舟に乗り、最上川をさかのぼり、合川の津(渡し場)に上陸、難所亀割峠に向かったが、そこには一大事が待ち受けていた。夫人北の方が産気づいたのである。弁慶の産婆役で何とか男の子を産み落としたが、どうしたことか産声ひとつ上げないのである。一行は急ぎ鳴子を目指して旅立ち、中山越えして鳴子温泉にたどりつき、温泉の効き目によって初めて産声をあげたと伝えられている。その湯が、川沿いという地理的条件から「姥の湯」であろうという。正に「義経伝説の湯」なのである。産み落とした峠にちなんで「亀若丸」と名付けられた赤子と義経の一行は、赤這、鍛冶谷沢を経て、栗原寺にて、秀衡の使者樋爪太郎と共に無事平泉に至ったという。この物語から、亀若丸の産湯つまり「姥の湯」に変化したものとされる。その後、「姥の湯」は温泉として開湯。文献によると奇しくも1603年、徳川時代幕開けの年であった。